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 8月10日東堂(前住職)が遷化しました。北蒲原郡聖籠町に生まれ、昭和20年に当寺に入り、苦労しながらも

寺の興隆に努め、その功績は誰もが認めるところであります。

 日ごろから親交のありました曙産業会長大山治郎氏の弔辞を披露させていただきます。

 米泉寺十五世東堂俊顕老師に壇信徒一同を代表して謹んで弔辞を捧げます。

 ご老師がお亡くりになった。ご住職より電話を頂きました。一瞬深い悲しみに言葉を失い、涙をかみ締めていま

した。16日に三条新聞に、ご老師の人生の歩み、人柄が紹介されていました。

 改めてご老師の働きを知ることが出来ました。

 北蒲原郡聖籠町に生を受けられたこと。中学校卒業後、紫雲寺町東光寺でのご出家は、信仰心の篤かった

お父さんの勧めでもあったこと。私もよく知っている越後の名刹雲洞庵で新井禅師の教えを乞い、修行を

積まれたと聞きます。田島の米泉寺には、十四世住職の長女との結婚がご縁とも知ることが出来ました。

 五十嵐川の水難は、今も続いています。

 米泉寺には、水難の災害に遭いながらも壇信徒と共に積み重ねた、お寺再建の歴史が刻まれていると

思います。台風災害による本堂の修復再建を成し遂げられました。

 米泉寺の発展に伴い、霊園の開設も実現されました。

 米泉寺の住職として、特に壇信徒との交流を大切にされておられました。

 米泉寺発展のために、ご老師のご苦労とご努力があって、米泉寺今日の礎が築かれたと思います。

 私ごとになりますが、ご老師との出会いは、私の人生の原風景でもあります。

 六十数年前、幼い兄弟を残しての父の死、母との離別、大阪から疎開して来た私たちには、葬式で頼れる

身内もありませんでした。

 隣組の人達が田島の米泉寺様にお願いしてくれました。子供であった私に、今も鮮明に思い出すのは隣組の

人達にテキパキと葬儀の手順を指示されておられた、若き日のご老師のお姿です。

 茫然自失、泣くことも忘れていた、幼い兄弟に替わり、俊顕住職と近所の人達が父を送ってくださったと

思います。しかし、私は親不孝ものでした。

 ご住職に甘え、父の遺骨をお寺に預けっぱなしで、墓地に納骨するまで十数年もかかっていました。

 墓石の書を頂にあがった時。どん底を生き続ける私を、褒め励ましてくださいました。

 そんな私に呆れもせず、ご老師は病に倒れる八十歳中ごろまで、父の命日三日には毎月毎年オートバイで

燕まで来て頂きました。

 月経もご老師から、ご住職、今はお孫さんに上げて頂いています。

 米泉寺の歴史をつなぐ十六世ご住職、副住職として成長されたお孫さん、私たち壇信徒のみならず、亡き

ご老師おかれましてもおおきな安堵であったと思います。私たち壇信徒一同より信仰心を深め、米泉寺と

地域社会の発展に寄与して参りたいと思います。

 ご老師への思いは尽きません。ただただ米泉寺住職を始め壇信徒一同、ご老師に心から感謝申し上げ

ご冥福をお祈り申し上げます。

 ご老師におかれましては、冥界にあって、いつまでも安らかに、そしてこの寺米泉寺の発展と、私たち

壇信徒の安泰をお守り下さいますようお願い申し上げお別れのご挨拶といたします。

 ご老師ありがとうございました。お別れいたします。

     平成二十五年八月二十二日

                米泉寺 相談役 大山 治郎
 
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