皆様明けましておめでとうございます。この一年が皆様にとりまして良い年でありますようご祈念申し上げます。
お正月三が日は、多くの皆様からお年始をいたき有難いと思っております。
近年、特に女性の方がひざを痛められ正座が難しいとことで寺でもテーブルと椅子を準備させていただきました。
「おめでとうございます」「今年もよろしくお願い申し上げます」の挨拶の後、お茶を差し上げ近況やら、ご先祖のこと、世間話が淡々と続きます。
禅の言葉に「喫茶去(きっさこ)」という言葉があります。「去」という言葉は「喫茶」を強調するもので特に意味はありません。
中国唐の時代に趙州(しょうしゅう)という禅僧がおられました。この方はだれが訪ねと来られても「お茶を一服いかがですか」と言われるのです。あるとき、事務長さんが「見も知らずの人に用件も聞かぬうちにお茶を薦めることもないでしょう」これを聞いた和尚はいきなり大声で彼を呼んだのです。「和尚さん何か御用ですか」「まあまあ、お茶でも召し上がれ」話はこれだけですが、趙州喫茶去という有名な公案(修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題)となっています。
鶴見総持寺のご開山であられる螢山(けいさん)禅師は「茶(さ)に逢うては茶を喫し、飯(はん)に逢うては飯を喫す」と言われております。日常茶飯事の中にこそ仏道があるということでしょうか。
貧富貴賤の客を選ばず、無心に施す心を養いたいものです。
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