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 燕市の大山治郎さんが本を出版されました、お盆にこられたときに贈呈されたものです。

 題名は、「試練も恵みなり」(どん底から大胆な逆転発想でマジックしゃもじ発明 アイデア社長 汗と涙の手さ
ぐり人生ー発行 新潟日報事業社 定価1,400円+税)。

 その本の中で当米泉寺について記述されておりますのでご紹介させていただきます。

 昭和十七年、父は息を引き取った。六年生の長男と四年生の妹、一年生になったばかりの弟が残された。

 野辺の送りは寂しいものだった。近所の人が段取ってくれたのだろう。
 葬儀を取り仕切り、お坊さんも頼んでくれた。

 冬空に物悲しく立ち上がる煙と、読経の響きが脳裏に焼きついている。
 私たち兄弟は泣くことすらも忘れていた。

 父は遺骨になって、私に人間の一生と無常を教えてくれた。

 このときお世話になった三条市田島にある曹洞宗米泉寺のお寺様からその後も月経を欠かすことなく、五十回忌過ぎた後もお見えになっていただいている。

 縁とは不思議なもので、今はそのお寺の代表相談役をさせていただいている。
 まさに私共もありがたいご縁をいただいたものと思っています。

 この本の題名どおり、人間は恵まれた環境にいるよりも、逆境の中にいるほうが、人間は持てる能力を発揮し、自己をより進歩発展させて生きていくことができるといえるでしょう。

 「逆境」は、まさに未知の試練をはねのけて生きていくということがいかに大切であるかを教えてくれます。

 皆様も一読されては如何でしょうか。


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 7月29日30日の大雨は、7年前の7.13水害を上回るほどの雨の量とか。

 自坊の裏を流れる五十嵐川あと30センチ位で水が土手を越えるところまできました。

 上流の下田地区では破提それに加え山崩れなど大きな被害を出しました。

 7年前の水害により堤防のかさ上げ等工事を行ったおかげで旧市内は壊滅的な被害を免れたといえるでしょう。

 31日は一転して晴れ、「盂蘭盆会」ご供養が営まれました。

 当寺では、お盆になると「幽霊」の掛け軸を掛けることとしています。

 幽霊といえば、放送作家の「山田正弘」さんが「怪談」という本の中でこんなことを書いておられます。

 あの当時の「天城(旅館)」には、仲居さんにしろ帳簿さんにしろ、なぜか不思議とこの世の不幸のすべてを一
人で背負ったような女人ばかりが、吸い寄せられるようにあちこちから集まってきていたとしか思えない。

 赤坂一ツ木にある「天城」は黒鍬谷にあり、浄土寺、松泉寺など十数寺が密集していて、いわゆる寺町であった
とか。

 お寺があれば当然、墓地もある。振袖火事にしろ天明の大地震にしろ、江戸で大きな災害があれば、この一ツ木
寺町は江戸市中との地理的関係からいっても屍体捨て場の一つであった。

 そして「天城」は、かって浄土寺の墓地があったところの真上に建てられたらしい。

 そういうことであれば、不幸な異界人がしきりに、現世おける不幸な女人を招き寄せていたとしても、十分納得
がいく。

 ある晩のこと、「天城」で仕事に没頭していたが、少しばかり疲れたので休憩を入れようと階下に下りていっ
た。

 その日はちょうど春の彼岸の中日であった。
 こんな日は、どうも生暖かい風が吹いていけない。

 そうしていつものように、わたくしは帳場さんの前に腰を下ろす。

 「一昨日の夜半ことだけど・・・」彼女が身を乗り出して話し出したのは次のようなことである。

 隣の部屋と奥の部屋の境目に板戸がある。真夜中の三時ごろ誰かがカチン、ギ、ギ、ギ・・・とその戸をあけて、ぬーと入ってきた。

 彼女は疲労もあってぐっすりと眠り込んでいたので、その音を聞いたときも「うるさいな、いまごろ誰よ」と思いながらも、意識だけは板戸にやって、ズルを決め込んでウトウトしていた。

 しかし、侵入者は終始沈黙のまま、いつまでも突っ立っているようである。

 そのうち、はっと目が覚めてあわてて起き上がって見に行くと、そこには誰もいなかった。
 そしてドアの開く音を耳にしたというのに、戸は閉まっていた。

 「寝ぼけていたんじゃないの?」「ふん、一度や二度じゃないのよ。このあいだは、賄いのおばさんがお休みのときだったわ」

 賄いのおばさんは毎月一回だけのお休みを取る。

 おばさんには一人息子がいたが中国で戦死してしまったので、今は小岩に暮らす姪のところへ泊りがけで遊びにいくのを唯一の楽しみにしている。

 その日もおばさんはいそいそと出かけていった。

 日曜祭日は、長期滞在の客以外はとらないので、仲居さんたちもそれぞれ家に帰ったり、外泊する。

 その晩、旅館には客が一人もいなかったにので、帳場さんは一人になった。

 夜半の一時か二時ごろのこと、あたりは深閑としていた。
 ふと、勝手口の戸がガシャン、ギーと開いて誰かが入ってくる音がして、帳場さんは目を覚ました。

 「お帰りなさい。おばあさん、ずいぶん遅かったわね」と声をかけながらも、
 「帳場さん、向こうの家でなにかあったのかしら・・・珍しく泊まらずに帰ってくるなんて」と頭をひねった。

 以前にもそういうことがあったが、声をかければ、おばさんは
 「はいはい、ただいま。起こしちゃって悪かったねェ」ぐらいいうはずなのに、ずっと黙っている。

 きみが悪くなって、もう一度声をかけてみた。
 すると、おばさんらしき人が廊下をピタピタと歩いて板戸をカチン、ギーッと開けたのだ。

 いや、板戸はギーッとひとりでに少しずつ開いて、ただ揺れているのだ。
 そうしてそれっきり人の姿は現れないい。

 「風だよ、風であの板戸が自然に開いたんだよ・・・そんなことはよくあることさ。
 例え風でなくとも、家の近くを大型ダンプカーでも通ったら、その振動で開いたとしてもおかしくないよ」

 わたしは試しに立つとそこへいった。
 そして板戸に手をかけた瞬間、思わずあっと驚くこととなった。

 どっこい、ちょっとした力では、開くどころかうんでもすんでもない。
 立て付けが悪くなっていて、そのうえ鴨居も柱も歪んでいる。

 思い切って力を入れて引っ張ると、ガチッと止め金の外れる音がした。
 それからおもむろに、ギ、ギ、ギィーと木枠と板戸のこすれあう音がして、板戸はやっと開いたのである。

 「風なんかでは開かないこと、よくわかっでしょう。それなのに、その戸が夜半にすうーっと開いてしまうんだ
から、とても不気味なのよ」

 「うん。やっぱりそうか・・・」「そう」

 そんな話をさんざん聞かされているうちに、ふと時計を見ると、ちょうど針と針とが午前零時で重なるところだ
った。

 と。天井の上を誰かがギシギシと音を立てて歩き回っていた。

 「誰だろう?あんな変な歩きかたして・・・」

 「今日は、祭日だから山田さんしかいませんよ」
 
 と、帳場さんは、このときもさらりと言ってのけた。
 しかも、本当にうれしそうな顔で。

 ところが、そんなときに合わせたかのように、この旅館のある一帯が停電になるのである。

 当時は、高度成長が加速しているただなかで、赤坂あたりであちこちでビルが建築され、そのたびに電気工事のための停電がやたらと多かった。

 停電したからといって、「幽霊が怖いから帳場に泊めてくれ」とは、さすがのわたしでもいえない。
 相手は五十歳おばさんとはいえ、れっきとした女性である。

 で、ローソクを点して部屋に引き返すわけだが、途中で炎が消えてしまうと困るから、
 「もう一本。それに火をつけてよ・・・」と二本のローソクを手にして二階に上がることとなる。

 ローソクが消えたら、もう何も出来なくなるので、そろそろと神経を張りつめて歩く。
 特に階段をのぼるときには気をつける。

 風が無い日でさえも、ひんやりとした空気が流れ動いているからだ。

 そうして自分の部屋にたどりついて、はじめてやれやれーーと仕事を再開する準備にとりかかる。

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 世の中にはいろいろと不思議な現象があるものですね。

 

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