お盆が近づいてきた。こちらではお盆にご先祖が様があの世からお帰りになることから、棚経を各家庭にお伺いし挙げることとなっている。当寺でも14日から16日の三日間はそれなりに忙しい。幸いにして二男が手伝ってくれるので助かっている。
 今年は、いろいろなことが重なったが天命のようなもので幸いにも今この瞬間「生かされている」有り難いことである。
 この天命のようなものをさらに強め、新しい仕事にも挑戦していきたい。
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 先般ブログで報告したツバメのヒナが四羽無事に巣立ちをした。ヒナは当初五羽だったが、巣が狭いせいか残念ながら一羽は脱落した。生存することがいかに大変かを示している。人間も同じように一生何事もなく無事過ごせるという保証はない。
 一休禅師は八十六歳で遷化されるとき「成るようになる。心配するな」という言葉を残された。そこには、いくら頑張っても運命には逆らえないという意味もあるのだろう。しかし人間は壁にぶつかって、そこを突破し、切り開くことこそが必要なのだ。
 まずは動いてみよう。

 三年ぶりに「ツバメ」が御堂の中に巣をつくった。春になると南の国からやってくるツバメ、かっては縁起が良いといわれたが近年は、カラスが巣を落としたり、フンが嫌だと巣を落とされる例も多く、ツバメは減少しているといわれている。
 しかしながら、我が寺では大歓迎である。早くヒナの顔が見たいと家族一同心待ちにしている。今年は何か良いことがありそうなそんな予感がしている。
 先月から発声法を一から勉強したいと思い先生に師事(カラオケの先生)している。孔子は豊かな音楽的才能を持った人物であったといわれている。ある時、斎国の「韶(しょう)」という古樂を聞き、その曲の美しさに感動し「韶を聞くこと三月、肉の味わいを知らず」(三か月の間食べることも忘れて、韶に夢中になっていた)という逸話を残している。
「子、人と歌いて善ければこれを返さしめて、而してのちにこれに和す」(孔子は、他の人と一緒に歌の会を開くときに、もしいい歌を聞くと、きっともう一度歌ってもらい、そのあとで今度は自分も加わって合唱した。)
 私も良いお経が読めるようさらに精進したい。
 
 

 困難にあっているときに思いがけないことで助けられると「地獄で仏」という。地獄で仏に会ったような有難さというのでしょうか。
 経典では私たちの住む世界を地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏(ぶつ)の十界に分けている。
 そしてそれぞれの世界はそこに住むにふさわしい者が住んでいるというのです。ということになれば仏様は仏界に住んでおられるわけで、他の九界にはいらっしゃらないこととなる。そして地獄界と仏界では、天と地の差がありますことから、深海魚と高山に住む雷鳥と出会うより、会う確率は低くなります。
 それでは、下のほうにいる我々は救ってもらえないのかということになるかといえば仏の慈悲は深いので、様々なお姿に変えられて外界の者を引き上げてくださいます。しかしながらいかに仏様といえども人間界までで、地獄まで降りていくことは無理であります。
 お地蔵さまだけが、地獄まで降りていくことができるんだそうです。しかし、長くはいられません。地獄の住人からすればこの「地獄の地蔵」にめぐり合うことが助けてもらえる唯一のチャンスでありますからまさに地獄で仏の本番とということになります。
 私にとっての仏は「西野流呼吸法」であったと思っています。
 商業高校の桜が満開となりました。三条にも私にも春が訪れたようです。

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